石神さんと映画「ゆれる」
今日は朝から、ときさんとゆきちゃんと、鳥羽にある神明神社(通称石神さん)へ。
ここは、女性のお願いごとを一つ、叶えてくれる。と言われている神社だそうで、どこからかその情報を仕入れたときさんにお誘い頂いて、今日はちょっとしたお出かけです(^^)
古くて小さい神社でしたが、社務所のおばちゃんは現役の海女さんで、とてもかわいらしく、おばちゃんたちが手作りのお守りも売っていて、地元に愛された、ほのぼのしたところでした。
もちろん願い事は「あのこと」…うふふ。。ご想像にお任せします(^^)。。。そう、そのことです!!
帰りはちょっと寄り道して、おかげ横町で焼き芋ソフトを食べ(おいしかった!!)、次の目的地の伊勢進富座へ。
こちらも歴史ある小劇場で、上映前にはアナウンス。カーテンがさーっと開いて映画が始まると言う、味のある映画館です。
今日の映画は「ゆれる」オダギリジョー主演、で、だれか死ぬ。くらいしか知らないままの鑑賞です。
感想は。。。いろいろ思ったけど、書くの難しいなぁ。。。

昨日の「フラガール」は、実話をもとにした映画、「ゆれる」は、フィクションのはずなのに、「ゆれる」のほうが、数段生なましい。
いつも私は、「優しさ」は連鎖する。と思っていて、でも逆に、「怒り」や「不安」や「不信」も伝わると思ってます。
だから意識的に「優しさ」を伝えたい。と思ってる。怒りや不安で行動を起こしたくはない。
でも人間というのは、深く悲しい生き物で、きれいごとだけでは生きていけない。いろんな思い。きっとそこに「愛」があっても、それは髪の毛一本の心の揺れで、連鎖し、大きな闇になりえる。
話しの出来る友人たちに囲まれて、幸せに生きている私はいつも、そんな「闇の世界」から抜け出せないでいる人たちと私たちは一体何が違うんだろう。と考える。
同じ様に年を重ね、事をこなしてきたはずなのに、どこで、何がずれるのだろう。それが身近な人や、まして家族の事となると、憤りを隠せずにはいられない。
たぶん、そんな人たちと私たちは、ほんとはちっとも違わない。
皆が抱えている、心の奥の方の重たくて冷たいもの。いつもはおとなしくしてるそれは、ほんのささいなズレを溜め込みながら大きくふくれあがり、いつかその人を乗っ取ろうと、手をこまねいている。そして、ふとしたきっかけで、パツンっと、か細い何かが切れる。
利己的で退廃的な思い、でもそこには「愛」がある。一見真逆なそれらは、深く複雑に絡みあっていて、そこに嘘は無いんだと思う。
きれいごとで、人は語れないし、生きれない。でも、間違い傷ついても、人はいつかきっと「許す」ことができると信じたい。
人を「許す」ことは、自分を「許す」こと。でも許す前に通らなきゃいけないところがある。映画の登場人物たちは「許す」ことにたどり着く為に、取り返しのつかないところにいってしまったけれど、それでもまだ「許す」ことが出来る。
やっぱり、心の奥の、重くて冷たいもののもう一つ底には「愛」はあるのかもしれない。それはいびつで、影を持ったものかも知れないけれど、やっぱり美しいんだろうな。と思う。
そんな、悲しくて、美しい映画でした。。ちゃんと書けたかな……?
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- 今更ですが……おくりびと(2009.03.19)
- スカイ・クロラ(2008.08.28)
- マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ箱(2008.02.22)
- クワイエットルームにようこそ(2007.11.08)
- PAN'S LABYRINTH(2007.10.26)

コメント