ナオへ。
今日はいつものスタッフの都合が付かず、去年の年末に半年間のタイ留学から帰って来たナオが、久しぶりに手伝いに来てくれた。
日本に帰って来てから一度顔を見せに来てくれたけど、その時はゆっくり話が出来なかったので、そう言う意味でも今日はちょっと楽しみだった。
二十二歳のナオ。この一年の変化はめまぐるしい。
初めて会った頃のナオは、いつも楽しそうで、見た目は子供みたいなのに何故だかいろんな答えを知っている不思議な人だった。彼女と一緒にいると、私はいつも温かい気持ちでいられた。小動物系?(笑)
タイに行くと決める少し前の時期、去年の春くらいだったかな。同じ時期に私とナオは、不思議とよく似た状況で、同じ気持ちを抱えていた。
それは「さみしい気持ち」
理由は分かっていたのだけど、私はそれをどうしようとか、特にもがく訳でもなく、ただ時間が経つのを待っていた気がする。
でもナオにとっては違ったみたいで。
ナオは突然「さみしいという気持ちが、初めて分かった」と言った。
それを聞いて私は正直驚いた。「さみしい気持ち」を知らない人がいることが。
今思えば、いつも一生懸命、おそらく同世代の女の子たちよりはるかにいろんな責任を負わざるを得ない状況で、多忙な私生活を送ってきた彼女には、さみしさを感じている余裕なんて無かったのかもしれない。
とにかくその時私は、同じさみしさを抱えながら、時期を待つ。という選択を、
ナオは、変化。を選んだ。
そしてそれからはもうすごい勢いで、彼女の生活や状況が変わっていった。そしてタイへの留学。
ナオは時々失敗もするけど、いつも真っ直ぐがんばっている人だから、特に心配はしなかった。お別れはやっぱり少しさみしかったけど。
何故だか、どんな状況であっても、ナオはナオでいるから大丈夫。と、信じていられた。
久しぶりに会ったナオは以前と同じ笑顔で、でもどこがどう、とははっきり言えないけれど、確実に素敵な大人になっていた。素敵。なんて言葉を使うと、見た目子供のナオは、顔を真っ赤にしながら、もじもじ恥ずかしがるんだろうけど。(笑)
「さみしさ」が、彼女を変えた気がした。
タイでの生活は、当たり前に「さみしさ」のある生活だったと思う。誰も知らない言葉も通じない異国で、それも日本より遥かに治安も悪く、心が落ち着く事はそうなかっただろうに。いくら自分で選んだとはいえ、それはとても厳しく、強くないとできない選択だったはず。
「さみしさ」と向き合う事で、何かが始まり、変わる。
そして、それが誰もの根底にあることを知る事で、優しく、強くなる。
もちろん揺れ動く事も多くなるけど、それもきっと大事なことなんだ。
最近ずっと感じてた事だったけど、ナオはその答えを持って、今日うちにやってきた。
そんなナオと半日を過ごすうちに、私も昨日よりまた少し、優しく、強くなれた気がしたよ。ありがとう。
「さみしい気持ち」を、ごまかさず、強がらず。
辛かったら、泣いてもいいし、笑い飛ばしてもいい。
少し切ない「さみしいよ」という言葉は、変化を受け入れる覚悟があるのなら、それは贈られた人にとって、素直に嬉しかったりするものだから。
もらって嬉しい言葉は、もっと外に出していこう。
そしてナオ、もっともっと素敵な大人になれるよう、これからもがんばっていこうね。そして時々そのお月様みたいな、まぁるい笑顔を見せてね(笑)
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