暮らす。
今日は、九州からイベントの為に出て来ているほいあん堂のともちゃんに会いに、奈良まで行って来ました。
せっかく奈良まで行くならと、定休日のパン屋の樸木さん(恵美ちゃん)もお誘いして。
私、パン屋の自覚が少ないせいからか、同業者のお友達ってほんとに少ない。
その上なかなかゆっくり時間も合わない自営業同士。今日は貴重な時間を割いて頂いて、お休み中のお店でコーヒーを戴きました。なんて贅沢な事。
恵美ちゃんは、自分の居場所で、今の自分を飲み込んで、真っ直ぐな思いは少しずつでもちゃんと形になって。いろいろ大変な事もあるだろうに、ちゃんと自分の足で歩いてる。
私の周りの職人さんたちはみんな、「働く事」と「暮らす事」が、ステキにいい感じに繋がっていて、それを知るたび私は、あぁ、そうか。そうそう。なんて、いろんなことを感じる。
先週の木曜日、友達の家で半分お遊び気分でパン教室をした。
オーブンが無くても、フライパンで美味しく焼けるんだよ。なんて、楽に楽しく焼くことも、家パンの美味しさだったりすることを再確認したりして。
焼きたてパンでお茶を飲んで、おしゃべりしながらハッと気付くと、その日9月6日はふじっこぱんの5歳の誕生日。
ずっと忘れてたけど10年くらい前、初めて家パンを焼いた時、オーブンを持っていなかった私は、オレンジページの手作り特集を見ながら、フライパンでパンを焼いたんだった。
生地が発酵して行く姿がもう可愛くて、発酵後に初めて触れたときのしっとりとした柔らかさは、一緒に眠りたいくらいに心地が良くて。
ただただ可愛くて、楽しくて、ただそれだけの為にパンを焼いていた頃。
何かを待たなきゃいけない気がして、訳も解らずとった長いお休みの中、本当は1人で過ごすはずだった5周年の日は、こんな風に意図せず、幸せな気持ちを思い出させてくれた。
八月のイベントを終え、自分の揺らぎ具合に直面して。でも同時に、反省点に気付けるのなら、いつかそれは許して行くべきなんだと、自分への厳しさの糸を、少しだけほどいた。
そんな中はちきれそうな風船みたいな友達に会って、それはまるで少し前の自分のようでもある気がして。
初めての九州はほんと、二ヶ月のお休みをとったから行けた場所。
なにも決めていなかったから、目一杯いろんなことを感じた。
大事な、人と、時間と、場所と、ものと。
そこにある全てのものは、当たり前なようでいて、でもほんとうはとてもとても貴重で、大切なもの。
笑う事、泣く事、怒る事。見つける事、そして手放す事。
おはよう。と言う事も、犬の散歩も、雲の観察も。
庭に落ちた大きな葉っぱをくりぬいてお面を作ったりする事も、きっととても大切な事だった。
「暮らす事」は、毎日のいっこいっこを積み重ねて行く事なんだよね。
私の暮らしは、毎日を、仕事を、「こなして」生きてきた。
「こなして」でも生きて行けるよ。きっとずっとそうやってきたんだし。
でもなんか、それって疲れる。
息が切れて、時々ふぁーーーーーってなる。
どっかで線を引いとかないと、いつかパンってはち切れてしまいそうで、止まったらそんな自分に気付いてしまいそうで、どうしていいか解らなくなりそうで、恐かった。そう、恐かったんだ。
私も、暮らしを積み重ねて行きたいな。
毎日の「営み」を、朝の深呼吸を、今日も目が覚めた事を、しっかり感じていたい。
パンを初めて焼いてから、気付けば約10年。
パンでお金をいただく様になって8年。
お店を持って丸5年。
消去法の人生で、「やりたい事」より、今「目の前の事」をやってきていた気がしていたけど、今やっと、「パンを焼いていたい」と思うことができました。どんな形でもいい。きっとまたいろいろ迷うけど、今はそうしていたいみたいです。
これからお店が、私が、どうなって行くかは解りません。
解らないから不安で、とりあえず現状維持の暮らしだったけど、不安で恐くてできないなんて、そんなのもったいない。今の私には、何も足りないものなんて無いのに。
先が解らないからこそ、今ここで出来る事、やりたい事は精一杯やってみたい。
悔いが、残らない様に。
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