お別れ。
こんな時間に変な夢を見て目が覚めてしまった。
何故か頭も冴えて来て、こんな日記を書いている。
この月曜日、お世話になった方が亡くなったと、友人から電話をもらった。
まだ50前後、明るくて楽しくて、いつも元気いっぱいで前向きで、でもきっと、とても繊細な人だった。
うちで使う無農薬の全粒小麦を、うち専用に作ってくれていた。
一昨年大怪我をされて、びっくりしてお見舞いに行った。
去年やっと元気になられて、春にお見舞いのお返しを頂いたばかりだった。
秋、小麦が収穫の頃連絡をもらったけどすぐには取りに伺えず、やっと取りに行ける頃にこちらから連絡をしたら、病気が発覚してばたばたしているようだった。
あれから約三ヶ月。あまりに突然で若すぎる訃報に、電話をもらってからもなかなか信じられず、でもそれからずっと、心がいつもより少し沈んでいる。
一昨日、通夜式に参列した。
冷たい雨の中、本当に大勢の方が参列されていて、その中には若い学生さんもたくさんいて、その方の人望や人柄を表しているようで、ずっと涙が止まらなかった。
今年の年明けに退院したと言って電話をもらったとき、まだ支払っていない小麦の代金と物々交換で、うちのパンが食べたいと言ってくれた。
それから一度だけ、ご自身に作ってもらった小麦を配合したパンを多めにして、ご自宅に配送した。
二回目の配送の支度が済んだ月曜日の午後届いた訃報に、行き場を失ったパンたちと、それに似た所在ない気持ち。
最期に食べてもらおうと、火曜日の朝、その方の為だけにパンを焼いた。
通夜式では沢山の人が泣いていて、こんなに沢山の涙で見送ってもらえるこの方は、ちゃんと生きて、とても幸せな最期だと思えた。でも。
そんなにしょっちゅう会う訳でもないし、いつも私のパンを食べてもらってもらっていた訳でもない。
でもこうなってみて初めて、私が毎日美味しいパンを焼く事の出来る根っこのところで、こんな風に応援してもらって支えてもらっていたことが、なんてありがたい事だったんだろうと気付いた。
もっと会いに行けば良かった。もっと感謝を伝えれば良かった。
今ではもう遅過ぎて、私のずっと沈んだこの気持ちは、きっとそんな後悔の気持ちもあるんだと思う。
この方が私や、周りの沢山の人にしていたみたいに、今の私にはこうやって根っこのところで支えて応援してくれている人がきっと沢山いる。
明日が今日の続きでずっと続くなんて、そんなの期待してちゃいけない。もっと素直に受け止めて、出来るかぎり感謝を伝えなければ。
感謝できる「今」をもっとしっかり生きなければ、と、思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。
次の世界でも、鼻とほっぺたを赤らめながら、緑の中で元気に歌っている姿が浮かびます。
お疲れさまでした。どうもありがとうございました。
残してくれた今年の小麦を、一粒も無駄にする事無く、パンを焼いていくからね。おやすみなさい。
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コメント
種から命を導き、それを収穫する人。
その収穫物を、食べやすくパンにして、我々に届けてくれる人。
そういう人が近くにいることに、感謝だと感じました。ありがとう。
食料の流通は複雑で、作った人、運んだ人の顔が見えないものがあふれている。
その一方、とても単純で、有史の頃に近い営みが行われている。それに価値を見出す余裕のある時代になったという解釈は、置いといても、感謝です。
投稿: ナカニシ | 2008年1月31日 (木) 21:24