生きています。
毎日毎日マサルさんと一緒にいます。
皆日記を楽しみにしてくれているみたいで、私も嬉しい。
でもね、ほんとは、一番伝えたいのはね、上手く言葉にできない事だったりする。
命。とか、生きる。とか、死ぬ。とか、そういうこと。
ずっと一人で沈んでいたときは、生きているのか、無くても同じなのか、
この手がどこに繋がっているのか。
なんにも解らなくなって、感じる事も出来なくなって、ただただ時間が流れて、悲しくて、寂しくて、このまま消えてしまいそうで、恐かった。
マサルさんは、今、生き生きと生きています。
痛みに悶える時も、悲しみに沈む時も、歓喜に満ちる時も、静かに穏やかに過ごす時も、マサルさんはほとんどの時間をベッドの中で過ごしているけど、こんなに生き生きと生きている人は、そうはいないと思う。
消えてしまいそうだった私だったのに、病室にいることで、言葉ではなく、マサルさんの存在そのままの、生きる力を感じた、というより、気付いたら生きる力の中に居た。
私は、オーバーヒートした頭と、バネの切れた身体をただ横たえて、マサルさんの呼吸に、自分の呼吸を合わせる。
今はそれだけで、生きている事を感じられる。
心だけは壊れずにいられたことに感謝する。
それだけでいいか。ここで、こうやって、呼吸を重ねられるだけで、充分過ぎるくらいの生きる力と穏やかな気持ちが身体に充満して行く。
こうやって、休んでいよう。
もう少し。休んでいたい。
バリバリ働く事、なんでも自分で決めること、責任を持つ事。
それ以外のずっと後回しにして来た事。
それが、今の自分に一番大事な事だったんだな。
後回しにして来たから、つけが溜まってか、なかなか上手にならないけど、上手じゃなくてもいいか。
今日、マサルさんが言ってくれました。
「俺の周りにおる人間は、みんな生きとるんや!」って。
ありがとう。うれしいよ、そん中に私もいるよ。
マサルさん、それはマサルさんが一番「生きてる」からやよ。
マサルさん、死ぬのは恐く無いんだって。
でも、まだまだ生きていたいんだって言った。
死を怖がること=生きたいではないんだね。そっか。
ただ、「生きたい」んだ。それは、私もおんなじだ。
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