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経験

宗教とかそういうものには全然興味が無いし、偶像崇拝したり、神様を擬人化したりすることには、ずっと違和感を感じてきた。

でも目に見えない大きな力とか、すべてのもの、場所、瞬間に宿る、それこそ古くから神と呼ばれてきたものの存在は、いつの頃からか信じていたように思う。
今はほぼ毎日病院にいても、毎日表情の違う夕日を見るだけで、それを信じられる。

ずっと、したかったことがある。
日記にも何度も書いた、温かい家族の体験。
でもこればっかりは、1人では出来ない。ほんと、残念だけど。

本当の家族は、物心ついた頃にはもうばらばらだった。
実家にみんな暮らしている時から、そのばらばらな空気が、いつもいつも寂しかった。家族で一体になった記憶は、皆無に等しい。
寂しくて反抗してものれんに腕押し、いつしか訴えることも諦めて、そんな現実を受け止めるしかなかった。

誰かがそばに居るのに寂しいよりも、1人でいて寂しい方がいい。
そんな風に家を出たのは25歳の時。今から10年前。
そして家を出てしばらくした頃、月の庭と出会った。

月の力に汐が引き寄せられる様に、私は月の庭に居た。
10年の間には、もちろん引き潮の時もあったけれど、満ち潮の時はもうどっぷり。そんな濃厚な時間は、今でもまるで昨日の事の様に思い出せる。
長くて短い、月の庭での日々。月の庭との日々。

縁とは不思議なものだと思う。
月の庭に導いてくれた当時一緒にいた人は、今では一番遠くの人になってしまった。
同じ時間を月の庭で過ごし、それまで知らなかった沢山の事を知った。
本でしか知らなかった事も、頭の中で想像するしかなかった事も、いい事も、そうでない事も。
初めて、生きている場所で生きている人たちに出会えたような、そんな感動だった。

商売屋の娘だった私には考えられない、目が点になる様な伝説を数々持つ、ぶっとんだ店、月の庭(笑)
たくさんの仲間が出来た。たくさんの経験をした。いっぱい泣いて、いっぱい笑った。
それまでの固まった心と頭が、がつんがつんと打ち砕かれていった。

月の庭で過ごした日々。
マサルさんは、今までの人生で一番、私を褒めてくれた。
あらゆる事を褒め倒せる人だと知るのは数年後(笑)その頃には私は、もう豚が木に登る勢いで、パン屋なんて始めていた。
マサルさんはそのことを、「計画通り」って笑うだろう。ふん。その通り、私は上手い事のせられたんだよ(笑)でも私のお店の開店を、他の誰よりも、自分の事の様に喜んでくれたのを、私は知ってる。

かほりさんは、いつでも親身に話を聞いてくれた。そしていっぱい話してくれた。それは休日でも、深夜でも。
熱く語る事で人と繋がりたかった私は、そんな自分が時々めんどくさい人として扱われる事に、結構傷ついていたりした(笑…豪快だけど繊細なのよ)。
そんなとこがええとこやん。なんて、私のコンプレックスを長所に変えてくれた。
今では、私にしか見せない腹黒さ(小ネタ?)を時々、というかしばしば見せてくれる(笑)これが見れるのは私の特権。なんて、勝手に思ってる。

引き潮の時期は、正直辛かった。
でももう私自身の道を歩み始めていたから、引き返す事なんて、ひとつも考えていなかった。
その時はその時で、考えられる精一杯で月の庭のそばに居た。
辛くて辛くて、亀山から離れる事も何度も考えたけど、それは出来なかった。
私の手の離れたところで、大事な場所だった月の庭が、どんどん変わって行くのを見た。良い時ばかりじゃなかったから、そばに居ながら何も出来ないのが余計に辛かった。
離れないのが不思議なくらいに辛いのに、そこにいることしか出来なかった。まるで月の魔力に取り憑かれているみたいに。

独立して、パン屋になって、月の庭で出来なかった新しい繋がりが出来た。今までの繋がりも、どんどん強くなって行った。大変な分、嬉しい事も楽しいことも、ほんとにたくさんあった。
「月の庭のふじっこ」と呼ばれることを誇りに思っていた私は、そんな風に呼ばれる事に違和感を感じる様になっていった。そしていつの間にかそう呼ぶ人はいなくなっていた。それはごく自然なことで。でもそんな変化が嬉しい反面、どこか寂しかったりもした。

そんな複雑な想いにも慣れて来て、やっと自分の道を見つけられたと思えた直後に、私は倒れた。
訳が解らないまま気付いたら今まで経験した事の無いくらい、閉ざされた場所に居た。あまりに突然過ぎて、真っ暗闇の中でぐるぐる廻っているみたいだった。
実の家族にも頼れない自分が情けなくて悲しかった。悲しくても泣くことも出来なくて、1人でご飯が食べられなくなって、1人で外に出られなくなった。もちろん仕事も。あんなになんでも1人でしてきていたのに。

そんな時間を数ヶ月過ごした頃、マサルさんが外に連れ出してくれる様になった。病院行きの運転手としてだったけど。

しばらく会っていなかったマサルさんは、ひどく痛そうにしていた。
そういえば私が倒れた時、心配して電話してくれた。「病院連れて行こうか」って。自分が病人なのに(笑)
マサルさんは、会っていない間に痩せてしまっていたけど、痛みに堪えながら私の体の痛み(腹痛発作があった)の心配までしてくれていた。
話の内容も話し方も、前よりずっと優しくて、心に響く。
部屋でずっと1人でいた私なのに、すぐに心を開く事が出来た。

そうやって引き潮の時期の空白は、あっと言う間に埋まった。
ぱんぱんに張りつめたさく果がはじけて綿花になるように、一瞬のことだった。それは驚く程簡単で、不思議な感覚でもあった。
何かが動いている。そんな気がした。

その後マサルさんが緊急入院し、まだほとんど病人だった私を連れて、かほりさんが病院に通う様になる。
なんだかかほりさんを更にしんどい状況にさせているのに、なんの躊躇も無く病院について行く私。35歳、大きな子供、ココにも発見。

病院に通い出して、約二ヶ月半。
初めは自分で運転も出来ず寝てばかりだった。今も寝てばかりだけど、運転は出来るようになった(笑)

いろいろマサルさんのお手当や、身の回りのこともするけれど、何にも不自然だと感じる事は無い。
マサルさんは何でも見せてくれるし、話してくれる。
痛みに耐えてるマサルさんに「もっと同情せぇよ!」と言われようが、「同情したって良くなる訳じゃないやん。ならもっと笑える面白い話しよーやー」なんて、ほんと申し訳ないくらいに、言いたい事を言っている。おならだって出来る。(あー、言っちゃったー)

何度も言うけど、私は信心深くも無いし、神様の事もよく知らない。
でも縁という、不思議な奇跡をよく知ってる。

今の私の過ごしている時間は、私がずっと経験したかった、家族との時間。
血の繋がりという目に見える家族にとらわれてしまっていたけど、こんな形もあるんだな。ケタケタ病室で笑いながら、最近そんなことを思っていた。

ずっと私の中にある、重くて固い何かを手放せないでいた。
温かい家族の体験をしたことが無い事が、無条件に愛された記憶の無い事が、まるで自分が大きな欠陥のある人間の様に感じさせていた。
それと同時に、未熟と感じる人に、やたらと厳しくなってしまう、嫌な自分も生み出していた。

ずっとしたかった家族の経験。私の一番欲しかったもの。
私たちがもし大きな何かに導かれているとしたら、必要な経験は必要な時期に、ちゃんと出来る様になっているんだと思う。
そしてそれは、心から願えば、その時は必ずやってくるんだと思う。

こんな風に文章にすると、とても大げさな気もするけど、それはほんのささいな、日常の風景の中にもあるのだろうと思う。
毎日が必要で、あなたも必要で、もちろん私自身も同じ様に必要で。
今日の劇的な夕焼けも、窓から入る新しい風も。すべてが今この場所で必要とされながら、ここにある。

私は今、こんな大事な経験をしていて、きっともうすぐ、ずっと会いたかった私に会える気がしてる。だから苦しい事も楽しい事もなんてことない事も、同じ様に覚えていたい。
そしていつかその時が来たら、いろんなことにすべてのことに、ありがとう。を言おう。

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