心と体
虹。
マイペースに暮らす。ということが、どういうことなのか。
私のペースはどうも、早すぎるようで、それは、人にも、自分にも。
とてつもなく不器用な部分と、感覚で全体像をすぅと捉えられてしまう部分と。それはとても簡単で、とてつもなく難しくて。
さて、
今日は月に一回の診察日。
今の病院にお世話になるのは、27歳の頃と、今回で二度目です。
月に一回先生と会う時間があることで、たぶんそうしていなかった時よりずっと、このひと月にあったことや、こころの動き、ほんのささいな事までが、とても大切な要素として日常にあること、それを自分で感じ取る事が少しずつ、出来る様になってきている事を、振り返る事が出来るのでしょう。
何かを創り、ただそれを喜び、分かち合える事。
大切なのは日常の中のそんな小さなことたちの積み重ね、それは確実に。
種に水をやり、太陽と共に育って行く花の様に、それはいつか実をつけて、そしてまた種が生まれる様に。
私の中の強い価値観は、ずっとそこにあり続けていて、重くて、固くて、そこにあるものだとただ、そう思っていたのだけどね。
そうでもないのだな。なんて、ふっと思う事が最近は日に何度もあって。
朝に目が覚める事も、何も無い時間から、きまぐれに有無を生み出す事も、なんてことないと思っていた暮らしには、小さくて、見過ごしてしまいそうに小さくて、ほんの一瞬だけヒカリを放つ何かがたくさん潜んでいるようです。
それはきざし、というのですか?
少女。
昨日mixiで男友達におねぇ言葉(笑)で書き込みをもらって、ハッとした。
こんなに乙女なのに嫁に行けないのは、私がまだ少女を卒業していないからよ
って。
そうか、私は乙女だけど大人の女では無かったということか…
…少し悲しいけれど(笑)ものすごく納得した。
ここ数日、病室で思い切り解き放たれている。多分、羽根が生えている(天使の…とは言わない(笑)ハトの、くらいにしておこう。)
マサルさんの事も、好きで好きでしょうがない。(笑…かほり黙認)
他にも大好きな人多数…
大好きな人がそばにいると、好きな気持ちを伝えない理由が解らなくて、相手が誰でもすぐ口に出してしまう。
笑われて、照れられたり、注意されたり?するけど、そんなのどうでも良くって、どんどん口から出る。
全然恥ずかしくなんてない。とても気持ち良い。
見返りもなんもなくてもただ好きって思える事ができるなんて、こんな私の好きという気持ちが迷惑になるかも…なんて心配もしないで、こんなに素直に好きという気持ちが自分の中に湧き出てくるなんて産まれて初めてで、それに気が付いたら今度は涙が出てきた。
人を好きになる事がどういうことか、ほんとうはずっと解らなかった。
好きという気持ちが自分の中にあることが、こんなに温かいなんて知らなかった。
お母さん大好き!
そんな無邪気な子供の時代を、私は今やり直している。間違いなく。
そりゃ、大人の女には程遠いわ(笑)
今、子供の頃の自分を想像してみた。
カウンセリングを受けたり、心の勉強をしながらも、ずっと出来なかったインナーチャイルドを解放するイメージング。
…光も闇も無い、真っ暗な中にいる小さい私。
震えた口を一文字につむんで、目をまっ赤にしながら泣くのを堪えている。
胸に何か固く抱きしめて、誰にも助けを求められずに、そこに根っこが生えたみたいに、ただ、立っている。
大人の私は、怖々手を伸ばし、そっと頭をなでる。
体の震えが手のひらを伝ってくる。
子供の私は、ぽろぽろと涙を流した。ぎゅっと体を小さく縮めて声にならない声を上げる。
…私の今出来るイメージングはここまでだった。
でも大丈夫、きっともうすぐ、抱きしめてあげられるから。
孤独の修行、痛みの修行。
今日は一ヶ月に一度の祈りの勉強の日。
名古屋の飛鳥院さんまで三人で行ってきました。
飛鳥院さんへ治療に行くのはこれで三回目。
先生はいつもはマサルさんのことを中心に、人間が生まれてきた意味や、それぞれの役割などを、にこにこしながらお話ししてくれます。
今日はマサルさんがお手洗いに行っている間、少しだけ私のことをお話してもらいまいした。
悩んでいることを聞かれ、ぱっと思いつかないまでも、やっぱり縁の薄い実の家族のことを話しました。
先生はうんうんうなずきながら、それは孤独の修行だと言いました。
孤独の修行が厳しければ厳しいほどに、そしてそれを乗り越える程に、魂は高いレベルに歩んで行くんだそうです。
そして、大きな影響を与える存在になる為にある魂は、わざわざ厳しい修行を選んでこの世に産まれ落ちるんだそうです。
一番辛い時、それは私にとっては孤独を感じる時。今のマサルさんにとっては痛みを感じる時。その時こそ、それを楽しみ、満喫することで、より一層、魂は成長し、高みに近づくんだそうです。
私は、孤独の中で悲しくて寂しくてどうしようもなかった時を過ごすなかで、マサルさんとかほりさんと、病院で過ごす日々が始まりました。
当時は車の運転さえままならなかったのに、二ヶ月を超えた今では、パンも再び焼ける様になって、少しずつ、日常生活も取り戻してきています。
最近は孤独を感じることもほとんど無く、体の声も心の声も聞きながら、穏やかに過ごしているので、孤独を楽しむことがどんなことか、すぐにはわかりませんでした。
でも帰りの車中、三人でしゃべりながら気がつきました。
今の私の状態は、正に孤独を満喫している状態だということに。
一人でなければ始められなかった仕事。一人だったから感じた限界。一人だったから不器用で、愛されないとずっと感じてきたけど、今は一人だからこそこの時間があって、一人だからこそ人といられることに感謝できて、一人だからこそ得られる経験がたくさんあるということを実感しています。
いつか二人に、そして本当の家族というかたちになりたいけれど、それもこんな大切な時間を満喫した後。楽しみに、今を楽しみたいと思います。
泣き虫。
朝から日記更新、ご苦労様。(自分を慰労してみた、ちなみに寝不足…笑)
昨日からの酸素吸入といつもと違う点滴が効いてか、昨日の夜はマサルさん、ぐっすり眠れたようです。
表情も、話す言葉も、トイレに行くときの足取りも、昨日までとは全然違います。
奇跡のステージを終えた後、色んな波があって、痛みもひどくなって、強い薬も増えてしまって、急にテンションが上がったかと思えば、ひどく落ち込み、夢と現実の間を行き来しながら、昼夜関係なく眠る日々でした。
私は毎日そばにいながら、痛みを抑えることと、精神を保つことと、そのバランスがどうなっていくのか、実は心配でもあって、でも何よりマサルさん本人が、何を望んでいるのかが知りたくてしかたありませんでした。
マサルさんは、とても繊細で優しい人で、そしてびっくりするくらい、その瞬間のあらゆる状況を受け入れる力の強い人です。
私が心配してしまっているのをおそらく知りながらも、そんな不安定な状態も嫌じゃない。と言い切ったマサルさんを、ただ信じるしかありませんでした。
でも今朝目が覚めたマサルさんは、いろんな薬や、処方の力を借りながらも、すっきりとした顔で、本当に久しぶりによく眠れたことに感動し、お気に入りの朝ご飯、黒糖シュガーフランスと牛乳を、「これが最高なんや、ぐっすり眠れた後の、美味しい朝ご飯」と、涙しながら震えた声で言ってくれました。
私は泣き虫マサルさんが大好きです。
そうでなくてももちろん大好きだけど、特に。
泣き虫マサルは、「死」と仲良しなんだって。
でもそれって、「生」を実感しているってことだよね。
おはよう。マサルさん。
またいっぱい、話をしよう。
生きています。
毎日毎日マサルさんと一緒にいます。
皆日記を楽しみにしてくれているみたいで、私も嬉しい。
でもね、ほんとは、一番伝えたいのはね、上手く言葉にできない事だったりする。
命。とか、生きる。とか、死ぬ。とか、そういうこと。
ずっと一人で沈んでいたときは、生きているのか、無くても同じなのか、
この手がどこに繋がっているのか。
なんにも解らなくなって、感じる事も出来なくなって、ただただ時間が流れて、悲しくて、寂しくて、このまま消えてしまいそうで、恐かった。
マサルさんは、今、生き生きと生きています。
痛みに悶える時も、悲しみに沈む時も、歓喜に満ちる時も、静かに穏やかに過ごす時も、マサルさんはほとんどの時間をベッドの中で過ごしているけど、こんなに生き生きと生きている人は、そうはいないと思う。
消えてしまいそうだった私だったのに、病室にいることで、言葉ではなく、マサルさんの存在そのままの、生きる力を感じた、というより、気付いたら生きる力の中に居た。
私は、オーバーヒートした頭と、バネの切れた身体をただ横たえて、マサルさんの呼吸に、自分の呼吸を合わせる。
今はそれだけで、生きている事を感じられる。
心だけは壊れずにいられたことに感謝する。
それだけでいいか。ここで、こうやって、呼吸を重ねられるだけで、充分過ぎるくらいの生きる力と穏やかな気持ちが身体に充満して行く。
こうやって、休んでいよう。
もう少し。休んでいたい。
バリバリ働く事、なんでも自分で決めること、責任を持つ事。
それ以外のずっと後回しにして来た事。
それが、今の自分に一番大事な事だったんだな。
後回しにして来たから、つけが溜まってか、なかなか上手にならないけど、上手じゃなくてもいいか。
今日、マサルさんが言ってくれました。
「俺の周りにおる人間は、みんな生きとるんや!」って。
ありがとう。うれしいよ、そん中に私もいるよ。
マサルさん、それはマサルさんが一番「生きてる」からやよ。
マサルさん、死ぬのは恐く無いんだって。
でも、まだまだ生きていたいんだって言った。
死を怖がること=生きたいではないんだね。そっか。
ただ、「生きたい」んだ。それは、私もおんなじだ。
現状報告です。
日記の更新が滞っています。
が、ここ半月程は、いろいろ気付きと感動の日々です。
頭と身体が追いつかなくて、全然更新できないのですが。
さて、パン屋さんのお話をします。
ごめんなさい。
お店の再開まではもう少し時間がかかりそうです。
お任せセットのご注文を頂いているお客様にも、もうしばらくおまち頂く事になりそうです。
メールの返信がなかなかできそうにありませんので、代わってここでお知らせさせて頂く事をお許し下さい。
今更ながら私の体調不良は、心の問題を大きく含んだもののようです。
ほんとうは、ずっと前から解っていたんですが。
自己責任ながら、一旦はひどく痛んだ風になっていましたが、今は大事な人たちや、全ての物ごと、そしてほんの少しのお薬の力を借りて、少しずつ心落ち着けて過ごせる日が増えて来ました。
そしてまた少しずつですが、新しい風が、とてもやさしく吹き始めてきているようで、もう少ししたらそれを気持ちよく感じられる日が来る様な気も、やっとして来ました。
今はそんな感じで、じっくりゆっくり、自分の心と身体と向き合っていたいのです。
もう少しそんな時間を過ごさせていただきたいと思っています。
それでは、また。
今度は天気の良い日にでも。
初胃カメラ
飲んで来た。
うえーーとげふーーと、いろんな音がした。(自分から)
空きっ腹にいろんな薬や麻酔やカメラ入れられて、検査中からゲップが出っぱなし(><)
今もお腹がごろごろ。空腹なんだかなんなんだか、訳が解らない。
幸いにも胃には問題なし。ピカピカの胃内部の写真を貰った。ピロリ君の結果は来週。
でもあんな目に遭いながら検査して、時々やってくる強烈な腹痛の原因が解らないなんてことになったら…か、悲しすぎる…
限界を知ることは、きっと素敵な事だ。
急にこんなことになって、やっぱりいろいろ考えてしまう。
ストレスが原因なんて言われたって、自分で選んだ生活を、ただ過ごしていただけで、それも自分としてはとても充実満喫していた訳で。
それでもストレスを…なんて言われようもんなら、そんな生活楽しいか?って思っちゃう。
無理しない様に、って心掛けようとしても、無理してる自覚なんて無かったから、無理の無い事がどういう事なのかなんてこと、考えようにもどうにも思いつかない。
体の声を聞く事。それに素直に従う事。でも従えない時も、どうしてもあるよね。そりゃね。暮らしってそういうものやんね。
休みを増やそうにも、どうやって休んでいいのか解らないままでは意味の無い事。今でさえ実質週三日の休みがあるというのに。
仕事している方が調子がいいのは、きっとその方が罪悪感無く毎週の休みを取れるからだ。
この病気が確定されてしまったら(まだ精密検査はしていないので確定ではない…と思う)生命保険にも入れないらしい。
勝手に付けられた病名に引っ張られるこの妙な現実感と、長引く不安定な体調に、数日前、実はちょっと凹んでいた。
でもこんなことになって、今まで知らなかったいいことがたくさん見えて来た。
いろんなことの見方が、少しずつ変わりつつある。それは劇的ではないけど、確実なものだと思う。
体の声が聞こえるのは、健康な証やよ。今まではそれさえ解らん位、体もこころも突っ張って、麻痺してたんやから。って、ある人が言ってくれた。
病気だと思って憂鬱になることは簡単だけど、そう思うとまぁ、私も丸くなったもんだ。って、なんとなく思えた。また一つ、素の自分に触れた気がした。
きっとずっと「助けて」って言いたかった。
これは、今まで自分でも認めたく無かった、どうにも認められなかった、わたしのほんとのところ。
子供の頃から全部自分で背負い込んでしまうような性分で、こんなことにならないと言えなかったんだと思う。
発作に襲われながら、誰にも頼らずにタクシー呼んだりしたらきっと自分の心が折れる。そんな気がしていた。
だから勇気を出して一回言ってみた。気付いたらすごく沢山の手が差し伸べられていた。
だれも私を嫌いになんてならなかった。嬉しかった。今だって、ずっと嬉しい。
命に関わる事の無いこの程度の病気が私をそこまで追いつめてくれた。
それは、とても幸運な事だと思う。
癖づいてしまった「考える事」を止める事は難しそうだけど、こんな風に思うと、体もこころも暖かくなる。
今夜もそうやって、暖かくして眠る。おやすみなさい。
新年を迎えて。
あけましておめでとうございます。
って言うのも、そろそろ恥ずかしくなって来た頃ですね。
今年はお正月から、いろいろ、新しい事がはじまる予感です。
去年はと言うと、いろんな物が壊れて、いろんな物ごとを許し、手放して、新しい時に繋げる一年だった気がします。
新しい事。
新たに出会う人や物事はもちろん、切れていると思っていたご縁が、今になってしっかり繋がる事が出来たりするのも、「新しい縁」だと、ある人が言っていました。
一昨日の夜、ふと思ったのは、もう、いろんなことを置いて行こう。ということ。
恨みやしがらみ、傷ついた記憶も、悲しみも。
もう、去年に置いてこようと思います。
理由は特にいりません。あえて言うなら、今の私がそうしたいから。
もうきっと、変わり始めました。
これという出来事があった訳でもないけれど、変わる時というのは、こういうものなのかもしれません。
これまで無かったのは、変わる為の勇気。
すり足をしながら少しずつ歩いていた私は、いつのまにか、大きな一歩分の歩幅を歩んでいたんでしょうか。
心が軽くなる。
好奇心の目で、空を見上げる。
希望の光は、たぶん当たり前にそこかしこにあったもの。
暖かい日差しを肌で感じながらも、目を開く事の出来なかったヒナは、
痛みにも似た日差しを新しい瞳で受け止める。
次は、その小さな羽で飛び立つ準備を。
夏休み一週目。
変な時間に目が覚めてしまった。
朝市まではまだ時間があるし、今日は一日中いろいろとしたいことがあるので、もっと寝ていたかったのに。
得意技の二度寝、三度寝ができず。頭は少しイタいので、寝不足なのは間違いないのにな。
いつもと違うお休みに入ると、実はなんだか休まらない。お休みなのに。
昨日の土曜日は、いつもならお店を開けていた土曜日で、そんな日に何も仕事が無いなんて(ちょっとした用事だけ)、なんだか落ち着かず、気持ちが休まらない。
そんな時は、いろいろ、我ながらめんどくさい事をいっぱい考える。
ホントは遊びのお誘いも頂いてたし、そんな重い時間は自分の意志次第でいくらでも回避できた。
でも、いつもならがんばって奮い立たせる気持ちも、今はがんばれない。……がんばらない方がいい様に思ってしまう。
休み明け、いつもは少し、自分を奮い立たせて仕事モードに入る。
だからお休みの日、どんなにだらだらしていても、そんな自分を許す事が出来る。
仕事が無いだけで、こんなにもテンションが下がるものなのか。と、長期休みの一週目、それも特に予定のない週末は、いつもとは違うものが、違うところから見えてしまう。
人に許してもらえることは、実はそんなに難しい事ではないと、すこしづつ解って来ていたけど、自分で自分を許す事が、やっぱり一番難しい。と、今更ながらに思う。
これもまた必要な時間なんだ。と、今は特にもがくでもなく、特に答えを求めるでも無く、どっぷり味わおうとする自分を、もう一人の自分が客観的に見ていたりして、余裕がありすぎるってなんか恐い。そして暗い(笑)
いろんなことに表と裏があるんだな。と思う。
できれば表でいたいのだけど、そうしたら自分のことをずっと好きでいられる「気」がしてしまうけど。
きっとそれは「気」のせいで、「裏」の部分の方が、ホントはきっと「表」の部分より、外から見えにくい分少しだけ大事で。
私は私で、のびのびと、清々しく暮らしていたい。と思う訳です。
見えにくい事の方が、どんなに本当の自分の「気」がしても、それもきっと少しは「気」のせいもあるんだと思う。
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居場所。
居場所。
ずっと探して来た。
きっとまだ探してる途中。
でも、
そんなに焦らなくても、
きっとそのうち見つかるんだろうと、
今はそんな気がしてる。
どこにも居場所が無い感じと、
どこかに居場所がある感じは、
どちらも今の居場所は無いのだけれど、
全然違う感じ。
時々足下がふわぁって浮いてしまう時。
私の居場所はそこには無くて。
でも地上のいろんな場所でいろんな人が、
たくさんの糸で風船になった私を繋ぎ止めてくれる。
私はたくさんの糸の中心で、
その糸を離さない様に、両手でぎゅって掴むんだ。
そして少しずつ手繰り寄せて、
私は私の居場所にやっと降り立つ。
そんな風に自然に、いつか自分の居場所に辿り着きたい。
ずっと胸の上辺りにあった重心が、
今はおヘソの下辺りにある気がする。
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幸せ。
幸せ。なんて、誰かにしてもらえるもんじゃない。
もちろん、誰かを幸せにしてあげる。なんて、そんな幸せならいらない。
幸せ。なんて、自分で掴むものでしょ?
外側からじゃなくて、自分の内側の、ずっとずーーーっと深いところから、染み渡ってくるものでしょ?
だから私は、
幸せにして。も、
幸せにしてあげる。も言わない。
幸せでいられる誰かと、ただ一緒にいたいだけ。
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応用編。
ここしばらくの私の生活は、まるでこの三十三年の総括。応用編をしているみたいだ。
感じる事。考える事。見えてくる事。
いろんなことが、パズルみたいにはまっていく。
一見激しく流れる河の底は、意外に静かに、でも流れは確実にあって。
もう少し、ここで呼吸を整えて、いつか言葉にできたらいいな。
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三十代の悩み。
ぼんやり思ってた事だけど、周りの同世代に共通する感覚があるみたいだ。
いろんな意味での限界とか、軽い焦燥感。変化を求めるくせに、どうしてかここにしかいられない感覚。今はもがきたくない。
手応え。みたいなものの無くなっていく感じ。疲れたのか?
息苦しい訳でも、特に焦っている訳でもないはずなのに。
先の見えない感覚はあるのに、それをも今は受け入れたいと思ってたり。
でもそれは、閉ざしていく事とどこか似ていたりもする。
客観的になれば、手にした物も、選んで来た事も、全てが大切なことだと気付く。
大切だと思える生活の中で、これは贅沢な悩みなのか。それとももっと根っこにある感覚なのか。
答えは解らない。でも、どこかでちゃんと解ってる自分がいる気もする。
はっきり解るとすればそれは何年後か、何十年後か。それともこういうものなのか。
10代の頃、同じような事を考えていた。
自分は何故生まれて来たのか。
生きていかなくてはならない理由はなんなのか。
結局答えは解らなかった。
それを考え続ける為に生まれて来たんだと、自分を納得させた。
でも今は、10代の頃とは確実に違う。
狭すぎた世界が大きく広がり、漠然と感じていた居心地の悪さも、全てのことに感じていた疑問も、意味のある事だと知った。
少なくとも、生きている意味がある事を、知る事ができた。
ここまで来た。でもまだまだこれから。
ずっと走って来たから、今は「待つ」ことを学んでいるのか。
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みの虫。
何もしない。と決めた日。
片付けられたまま、手をつけられてない眠ったままの台所に、空っぽの冷蔵庫、干しっぱなしの洗濯物と、積み重ねられた本。
携帯メールも、今日はお返事しない。
音楽もテレビもいらない。
気が向いた時に読む、読みやすい本と、まとめてたっぷり入れた飲みなれたお茶。それに、眠りなれたおふとん。
ごろごろごろごろ。ぐぅぐぅぐぅ。
周りがどうなっているかなんて、今は知らない。考えない。
みの虫みたいになってても、全然平気。だって外には出ないから。
茶色い気持ちがみの虫のおふとんいっぱいに充満する。
ちょっと暖かくて、うん。決して心地悪くはない。
多分、大事な気持ちなんだ。
無理に出るのは止めとこう。
もうちょっと、もうちょっとだけ。あったかくして。
もがいてもがいて来たけれど。
もう、いいや。
おやすみなさい。
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大事なもの。
真面目で正直で、すぐ本気になってしまう、そんな性格。
いつもこころのどこかで、ちょっと損してる気分になってた。
もっと楽に、簡単に、そつなくこなせたりするんじゃないの、と。
でも、そうじゃないみたい。
これでいいみたい。
不器用だから、ゆっくり、少しずつだけど、
確実に、しっかりと。
大事なもの。
気付けばいっぱいになってた。
他の何にも代えられない、私の宝物。
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お金と言葉。
お金が道具である様に、言葉も一つの道具です。
適正な距離で、頼りすぎず、振り回されず。
使いこなすのには、結構な技術と知恵が必要だけど。
手は抜かず、意識的に、使う。
お金が魔力を持つ様に、言葉も魔力を持つんです。
良い意味でも、悪い意味でも。
毎日使う物だから、
丁寧に。大切に。
道具に使われない様に。
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幸せで切ない。
朝、昨夜届いたお客さんからの嬉しいメールを、何度も何度も読み返した。
固くなっていたこころが、少しづつほどけていく気がした。
ドライブの途中、ふと会話が途切れた時間に、今朝大家さんが届けてくれたキラキラしたイチゴを、もうすぐ誕生日のかおりさんのバースディ用にロールケーキにしよう。と考えていた。気付いたら、とても幸せな気持ちになってた。
暖かい日差しと、気の張らない友達との時間と空気と、頭の中の素敵な想像。
なんだかこの瞬間があまりに暖かくて幸せで、ちょっと泣きそうになった。
最近のバタバタで、弱音を吐きながら笑う私に、夜、優しいメールが届く。
一人の私の中に、こんなに沢山の人がいるのを感じることができる。
たわいもないこんな日常が、私は大好きで大事でしかたないらしい。
どうしたらもっと大事にできるのか。どうしたら私は私を許せるのか。
こんなにこんなに幸せで、少し切ない。
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リニューアル。
無事新しい天井になりました(^^)(蛍光灯切れてて電気の傘開けっ放し…)
下見に来てた時(多分)初めて会った大工のおじさん。
今日の朝、いつも娘さんが買って来ていて知らずに食べていたパンが、実はウチのものだった。と、とても嬉しそうに話してくれました。ほんとにおいしいなぁって。
こちらは全然知らないと思ってた人で、正直不安もあったのに、ただ私のパンを美味しいと言ってくれただけで、安心できてしまうこの現金さ(笑)
でもほんとに「こんなにおいしいパンをがんばって作っとるんやから、こっちも埃立たん様に、気ぃ付けるでな。」と言ってくれて、ちょっと泣きそうやった。(あ、つい三重弁が…笑)
ずっと欲しかった物置棚も、ついでに付けていってくれたし(嬉)
実際は埃まるけやったけど(笑)気持ちよく後のお掃除ができました。
そして年二回の大掃除の時にも手の回らない、壁や床や細々したところまでのお掃除は、月の庭の新人スタッフ、アコちゃんとコウタが夕方からお手伝いに来てくれて、若さパワー炸裂!!ピッカピカになったよ☆…月の庭スタッフ総動員やね(笑)
絶対一人では今日中に終わらなかっただろうなぁ。ほんとに助かりました。どうもありがとうね。
お礼もかねて、今夜はうちでご飯を食べて行ってもらいました。でもでも簡単な有り合わせ料理…今度はもっとちゃんと作るから、また食べに来てね(…餌付け?笑)
あぁ。やっと一段落(であってください)。。。
ここまで突発的にいろんな事が続くと、大変だけど自分の変化にもいろいろ気が付きます。
私の焼くパンを美味しく食べてくれている事を知るだけで、少し心が触れる事。
誰かに頼ったりとか、寄りかかったりとか、今までずーーーっと苦手な事だったのに、少しずつだけど、出来る様になっていた事。
人に甘える事が出来なかった理由が、人も自分もどこか信じれてなかったからだったこと。
自分勝手な完璧を求めるあまり、背負いすぎて、でも結局背負いきれなくて、いろんなことが中途半端になっていた事。
これから少しずつ、疲れた時は疲れたって、素直に感じられる様になりたいな。
壁があったら顔から真っ正面でぶつかって、石があっても飛び越えたり避けたり出来ずにいちいちつまずいて怪我して。
そんな不器用な生き方しか出来ない自分も、もうしょうがない。って良い意味で開き直って、愛せるようになってきてたけど、まだ変われるんだ、私。
別に飛び越えなくて良い石もあるし、つまずいたらつまずいたで、座り込んだ場所から見える景色を楽しめばいい。痛かったら泣いて、泣いてる私を笑って見ててもらえたらいい。
そしたら一緒に笑って、次に行けるよね。
ここ数ヶ月で、いろんな道具がリニューアルして、それと一緒に私もリニューアルしたのかな。
それが良い事なのは解ってるけど、そうなる前より確実に未来が見えない。なんだろうこの感じ。
でも不安があるとか全然そんなんじゃない。とても不思議な気分なんです。
私のなかで、一体何が起ってるんだろう。。。
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私と、私の大事な人たちへ。
恐怖や不安から平和は産まれない。
それはただ悲しい連鎖を産むだけ。
どんなに平和を望んでいても。
どんなに愛を語っていても。
力じゃなく存在で、
言葉じゃなく想いで、
世界は変わるんだと信じてる。
………………
厳しい道だけが正しい道じゃないよ。
正しいかどうかなんて、ほんとはどうでも良い事なんだけどね^^
生ぬるい世の中だから、ついそう思っちゃう事もある。
だからあえて正しいって言葉を使ってみる。
そう。
自分が信じた道だけが、いつか正しい道になる。
自分の選んだ道だけに、いつかたくさんの花が咲くんだよ。
小さくても、力強くて愛おしい、たくさんの花が咲くよ。
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コート
ただ生きているだけでまとわりついてくるいろんなもの。
それが本当に必要かどうかなんて、一度も聞かれた事なんて無かったのに。
いつのまにか、
真綿で首を絞められているような、そんな世界に生きてた。
それに気付かず、もがけばもがくほど、
きつくきつく締め付けられて行く。
身動きが取れなくなっている事にも気付かない。
ゆっくりと、でも確実に。
まずは、生暖かいそれに気付く事から。
そして絡み付いたそれを、一つずつ、丁寧に剥がして行く。
ずっと着てたコートを脱いだときは、どうも少し肌寒い。
でも同時に、軽やかな体で肌で、風を感じる事が出来る。
そして思い出す。
何も身に着けずに産まれて来たって事。
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子供の頭。
日記を書き出してから、子供の頃考えていた事を思い出すことが多くなった。
例えば、地球はどうやって出来ているんだろう。とか。
宇宙のというのは実は水槽のようなもので、その中にガチャガチャの丸いケースみたいに大気があって、その中に地球があって、重力と言われているものは実は圧力なんじゃないのか?とか(笑)
何かの授業で、後何年でゴミの埋め立て場がなくなる。それを聞いて、このままだと埋め立てる場所がどんどん大きくなって、海が小さくなって、海の水が溢れて、どんどん日本が沈んでいっちゃう。とか。
少し大きくなって中学生のときに、政経の先生が言っていた。今の好景気はいつか終わって、不景気の時代が必ずやってくるってこと。。。なぜ大人はそれを止められないんだろう???
すごく小さい頃には、たまたま実家でやった婦人会のパン教室で作った、亀パン蟹パンがもうかわいくて、大事にしすぎて食べられなかったし(笑)その年の保育園か幼稚園かで書かされた将来の夢に、パン屋さんって書いてたりもした。(←予知?…笑)
子供ならではのおかしなこともいっぱい考えてたけど、子供の頃素直に感じて純粋に考えたことは、今も私の中にある。しっかりある。
地球がゴミでいっぱいになる事。原油がいつかなくなる事。毎年大量に切り開かれる森林、育つのに何十年もかかる樹木。
大人になって、いろんな事を知って、いろんなものを手に入れる。
叩けば痛いのも知ってるし、死ねば悲しいのも知ってる。
ものはいつか壊れるし、使えばなくなる。
目に見えるものは無限じゃない。全て有限な事。
大人はいっぱい知ってるのに、そんな子供の心配なんて、なにも考えてないみたいに見えてた。どうして知ってるのに、大人はなにもしないの?
子供の私の目にさえ、全ての限界が見えてたのに。頭の中は、不思議で不安で謎まるけだった。
この不安を解消してくれる大人は、その頃の私の周りにはいなかった。もしあの頃もう少し積極的になれてたら、政経の先生はなにかヒントをくれてたかもしれないな。とは思うけど。
今も不思議でしょうがないたくさんのこと。
子供の頃に感じた疑問や不安は、見える要素が現実的になってもなにも変わらない。
二十数年前に聞いていた悲しい地球の未来は、もうここにある。とても悲しい現実だけど。
子供は無限に考える。でも実際できることって少ない。小さい体で小さい手で。
大人の大きい体で、大きい手で、出来る事って計り知れない。でも感じ考える力は、実はずっと子供の方が強く、大きい。
子供の頃の疑問符は、気付けば疑問符のまま私の中にあった。
それはやっぱり、忘れてはならない事だったから。
小さい心と、小さい頭で、感じて考えたたくさんの事は、きっと一番、答えに近い気がする。
悲しんでばかりはいられない。
大人の私。今、なにが出来る?
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カサカサの気持ち。
今日かおりちゃんと話してて、カサカサした気持ちの話になった。
お腹ぺこぺこの時、ぱさぱさでおいしくないサンドイッチを食べて、カサカサの気持ちになったって。
うんうん。よくわかる。
腹ぺこで何食べても美味しいはずなのに、全然作り手の気持ちのこもってない、素材も台無しの食べ物を食べると、なんかひもじい気持ちになるもんねぇ。。。
そういえば最近は、そんな気持ちになってなかったな。
緊急時(笑)空腹を満たすためだけに手軽な食べ物を口にする時は、ある意味「こんなもの」って覚悟の上だし、特に何にも思わないなぁ、今は。
普段は簡単でも自分で作るか、作り手の顔の見える物を戴く事が多いので、たとえ一人の質素な食事でも、心はカサカサしない。
そう思うと、カサカサの気持ちって、人の気持ちを感じられない時に感じちゃうのかも。
さみしい気持ちも悲しい気持ちも、辛くて切なかったりするけど、カサカサはしてないもんね。どっちかいうとウルウルの気持ちだ。
それはきっと、人を想う気持ちだからだね。
カサカサの気持ちを感じないで暮らせるのって、すごいありがたい事なんだなぁ。
私のパンを美味しいって思ってくれる人も、カサカサしない気持ちで食べてくれてるのかな。そうだったらうれしいなぁ。
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ともだち
こころが触れ合う瞬間がある人を、私は友達と呼ぶ。
こころが遠すぎても、近すぎても、それは友達とはちょっと違う。
こころの距離の、お互いが丁度良いところで、
触れるか触れないかの微妙な距離感が、尊くて心地よい。
必要であればしっかり、そうでなければあたたかい視線を感じる程度の、
柔軟で、それはとてもやさしい距離。
手と手を、軽く握り合っている位でいて。
揺らいだら、ちゃんと握っていて。
悲しい時は、全身で抱きしめて。
後一歩勇気が出ない時は、そっと背中を押してね。
もしかこころが間違いそうな時は、おもいきりひっぱたいていいから。
そしていつか手を離す時が来ても、
手を繋いでいた事は忘れないよ。
こころが触れた瞬間は、きっとずっと私の中にあるから。
出会ってくれてありがとう。
私に触れてくれてありがとう。
私のこころの輪郭は、あなたたちに象(かたど)られているよ。
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大人になること。
子供はみんな、
自分の中に答えを持ってる。
世界も、自由も、希望も夢も。
全てそこにある。
大人になるにつれて、
世界を知るにつれて、
いろんな事を忘れていく。
でも同時に、
忘れてしまったいろんな事を思い出していく。
泣きながら。
笑いながら。
そうやって、
失ってしまった自分を取り戻す。
思い出した答えは、
一見同じようだけど、
泣いた分だけ暖かい。
笑った分だけ深い。
そうやって人は、
大人になっていくのかもしれない。
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決めるということ。
最近めっきりなくなったけど、雑誌や本への取材を受けていた頃は、時々若い女の子が「お話聞かせてください」と、メールをくれたり、お店にやってきたりした。
彼女たちのことを、もちろん私は何も知らないので、「はぁ、(別に)いいですよ。とりあえず、いらしてください。」とお返事した。
往々にして彼女たちは、初対面の私に「パン屋さんになりたいんです!」と、キラキラした目で言う。
私「はい。それで、なんのお話を聞きたいんですか?」
女の子「………」
彼女たちは、質問を持っていない。
もちろん私は、どこの誰とも知らない女の子を、パン屋さんにしてあげることも、その子の人生を変えるような決断をしてあげることもできない。
質問されれば、それなりに答えることもできるのだけど、それさえ用意していないのだ。教えてもらいにきているのに、会えば私が勝手にべらべらと、パン屋への道を説いてくれるとでも思っているのだろうか。
私「「やりたいんです。」では出来ないし、「やります。」って言えるようになって、ちゃんと聞きたいことが見つかったら、また来てね。」
………今のところ、また来た人はいない(笑)
私は、パン屋になりたい。と、思ったことがない。
そんな風に生きている人は、そんなに多くはないのかもしれないけど、幸か不幸か「夢」を持ったことがないのだ。
だから私の毎日は、なにがしたいか。じゃなくて、なにができるか。だった。消去法の人生(笑)
月の庭で働きながらパンの卸を続けた三年目の冬、何かが変わる時期だと感じていた私は、とりあえず「パン屋なら食べていけるかな。」と、忘年会中、三十人の前で「パン屋になります。」宣言した。
何も決まってなかった。お金も無いし、やりたい場所も、お店のイメージも、なんにもなかった。でもまぁ、みんなに言っちゃったらやるだろ(笑)くらいの気持ちだった。でも、もう「決めて」いた。
次の年の夏、ふじっこぱんはオープンした。「決めて」からは、もう自分でも訳が分からないくらい、次々といろんなビジョンが見えた。イメージする中で自然に、その時やるべきことが見えた。何故だかほとんど不安は無かった。
もちろん始めてからは、乗り越えるべき新しい課題がどんどんやってきた。
辞めたいと思ったことも何度かあったけど、追いつめられる度、不思議といろんな事が起ってそれは阻止された。その時期じゃないのは、自分が一番知っていた。
「まだまだ、ここで学ぶことがある。」
そんな風な事を繰り返しながら、私は今ここにいる。毎日毎日が、「決める」ことの繰り返し。相変わらず、「夢」なんて見ている暇はない。
でもここ最近、今の形では絶対得られない感覚を知りたくてしょうがない。そうすることで、もっと人生が豊かになる。そんな予感がしてる。
私が見るのは「夢」じゃない。それは少し先の未来。描いた理想は夢物語じゃなくて、背筋を伸ばして見つめたその先の、せいいっぱい手を伸ばしたところにある。
掴む。と「決める」のは、私。
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両手のひら。
たくさんはいりません。
両手のひらより、
ちょっと少ないくらいがちょうど良い。
大事なものは増えていくけど、
両手のひらはそんなには大きくならないから。
ちょっとずつ。
大切なものだけ。
優しくやさしく。
そうっとくるんで、
そう。
もう落とさないようにね。
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アキちゃん。
昨日、mixiで専門学校時代の友人二人と繋がった。
一人は、しばらく前に検索して見つけてて、でも彼と確信が持てなくていたら、プロフィールを私にだけ解るようにして(多分)足跡を残してくれていた。少し不安げなその小さな心遣いが、なんだかとても嬉しくて、当時の熱くて優しかった彼を思い出した。
彼が私への目印に入っていてくれたらしいコミュは、同じ時間を共有した、もう一人の大事な友人のコミュだった。
もう一人の彼は、彼自身になるために、ずっと一人でいろんな思いを抱えながら、でもだからこそとてもキラキラした人で。何も持ってないと思ってた当時の私には、そんな彼がとてもとても眩しかった。
彼が背負った人生の中、何かを探して数年前にアメリカに渡り、遠く海を越えて時々届く一斉メールだけが、私と彼を繋いでいた。
私はがんばってる彼が眩しすぎて、何も返事が出せずにいたけれど、まだ繋がっているよ。っていう彼の気持ちが嬉しくて、メールをもらう度、いつも幸せな気持ちになった。
もう、14年も前になるのかな。
高校時代まで居場所の見つけられなかった私は、ただそこを選んで集まった、どこか似たものを持ったたくさんの友人達に囲まれて、生まれて初めての居心地の良い時間を、たくさん過ごした。
でもまだまだ私は、何も見えてなくて、もがくしか出来なくて。自分の価値なんて、これっぽっちも感じていなかった。
こうやって今あの頃を思い出すと、みんなちゃんと不器用な私を見てくれてて、いつも気付けない、何も出来ない私を、優しく、でもしっかり守ってくれてた。
だから私は安心して、空っぽながらも、自分自身でいられたんだと思う。それは初めて経験した、自分自身の時間だった。
卒業後社会に出て、そんな時間とのギャップに激しく違和感を覚えながら、私の本当の人生は始まった。それは今に至る道でもあるから、もちろん必要な時間であったのだけど。正直、痛くて辛くて居心地の悪い、長い時間を過ごした。でも、それでも逃げずに来れたのは、ほんの二年間の、私が私でいられた記憶が、私を強くしていたからなのかもしれない。それは自分を信じる力を、光を、いつも少しだけ残してくれていた。
二人を見つけて、もう嬉しくて嬉しくて。でもメールを送るとき、私は少し戸惑った。
二人は、私が「ふじっこ」になる前の友人。「ふじっこ」の私を知らない。「ふじっこ」の私は、卒業の約五年後、月の庭で生み出されたから。
私はメールに「アキ」です。と書いた。
ほんとはなんだか自分じゃ無いみたいで、少し恥ずかしかったのだけど。
返事はすぐに来た。「アキちゃん」「アキのじ」
あぁ。そんな風に呼ばれてた。親しみと愛情いっぱいに呼んでくれていた私の本当の名前。
ふっと力が抜けた。
私は、私を取り戻した気がした。
ありがとう。
今私は、がんばってる二人に、まっすぐ向きあえる。
今まで、向き合えなくてごめんね。
時間は繋がってる。
私は私の時間を繋ぐ。
あなたはあなたの時間を繋いでいて。
それは無自覚でも、でもちゃんと触れる瞬間があって。
そんな数えきれない瞬間が繋がって、今の私を作ってるんだよ。
私にとってきっと転機になるであろうこの時期に、再び触れられたことに感謝します。
やっぱり世界は、まだまだ捨てたもんじゃ無い。
また一つ、宝物が増えたよ。
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人鏡
人と向き合うとき、そこに自分を見る。
と同時に自分の中に相手を見る。
でもまれに、映っているはずの私が見えないことがある。
見ようとすればするほど、不思議とそれは見えなくなっていく。
そこにあるのは壁なのか、扉なのか。
その奥に何があるのか、無いのか。
そもそも鏡があるのかさえも。
私には解らない。
そして特にそれを知りたいとも思わない。
ただ、現実にそういう事がある。それだけ。
私はそれを見たのだから。
それでも私は、
見る事は止めない。
そうする事でしか自分を知る事は出来ないから。
そうする事でしか人を知る事は出来ないから。
どんなに光を当てても映らない鏡は、もうそこに置いてこよう。
そこに私は見えないのだから。
私は私の中の鏡を、磨く事を止めない。
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冬休み。そして新しい私へ。
今日で冬休みが終わります。
お仕事モードを完全にオフにして、いろいろ感じて、自分自身と向き合った二週間。
いつものお仕事モードでは、絶対感じられないたくさんの時間を過ごしました。
積み重ねてきた毎日をしっかり噛み砕き、消化するためのお休みだった気がします。
こんな濃厚なお休みは初めてでした。
感じ、考え、悩みながら生きてきて、ここ数年でやっと、いろんなことのバランスが取れてきたと思っていました。
でもまだまだ。次の課題はもうここにあります。
自分一人ではぼんやりとしてはっきり見えないものも、人と関わることで輪郭を帯びてきて、もっとちゃんと繋がりたい。そんな気持ちが溢れてきます。
自分の中にあった、強い本能を知りました。その本能に、今までずっと翻弄されてきていた自分を知りました。そしてそれを意識することで、翻弄されずに済むことを今、学んでいます。
そうして私は、私らしく。やっと一人の女性になれる気がしています。
等身大。ずっとなりたかった自分です。
まだまだこれから、揺らぐことも多いはず。今からがスタートなのだから当たり前です。
今、プライドでも自信でも無い、誇りがあります。
いろんな人との出会いの中で、私はそれを実感することができました。ありがとうみんな。心からそう思えるよ。
ずっと私の背中に、重く暗く乗りかかっていた母の影にも、今は感謝できます。
ありがとう。あなたの人生を私は背負えないけれど、私はあなたの子供に生まれて良かった。
あなたの背負っている闇は計り知れなくて、幼い私をひどく傷つけたけど、そのおかげで私は人を傷つけることの罪深さを知った。気付けば私はきれいなままで、ここまで生きて来れたんだ。
この日記をあなたが読んでいるとは思えないけど、書かずにはいられない。言葉は力を持つんだよ。そうやって、いつかあなたに届くといい。
誇りを持って生きられると言うのは、本当に幸せなこと。
やっとここまで来れました。想像できる限りでも、まだまだ課題はいっぱいだけど、こんな気持ちで新しい年を迎えられるなんて思ってもみなかった。
明日からまたスイッチをオンにして、いつもの日々が始まります。
自分の中に芽生えたピカピカしたものはきっと、これからはそう簡単に傷付いたりしないから、しっかりした足取りで、今まで以上に毎日を大切にしていきたいです。
課題もどんどんやってきます。でも超えられない課題はありません。私は私を信じることから始めます。
これからもよろしく、自分。よろしく、みんな。
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二千六年。
やっぱり大晦日。この一年を振り返ってみましょうか。
えっと、この一年は、「乙女化計画」「自分磨き☆」と、珍しく目標(?)を決めて毎日を過ごしてきました。
目的は、結果ではありませんでした。ほんとうに大事だったのは、そんな意識で過ごしてきた毎日。
ほんとに濃厚で、素晴らしい一年でした。
自分にとって、より自然であること。自分にも人にも、より素直であること。そんなことを目指しながら歩いていたら、私の一番求めていたものに気がつきました。
「繋がり」
ちゃんと繋がれる事で、変化が恐く無くなりました。
繋がりたいと強く強く望む事で、傷つく事を恐れなくなることを知りました。
変化の中にある、キラキラした瞬間の繋がる日々。
変わり、失っていく時間に、感動し、感謝した日々。
何も無くて、もがき続けていた時間が、大きな財産だったと知りました。
そんな時間の積み重ねが、一つも無駄な事でなく、自分の中で生き、今の私の中にあります。
これからは、自分の中に溜め込んで来た沢山の時間や気持ちを、ちゃんと表に出して、新たな繋がりを生む種に、これまでの繋がりを豊かにする糧にしていきたい。
苦しい事は、不幸なことではないと、今は自信を持って言えます。
本当に、感謝の一年でした。
それをうまく伝えられたかは、あまり自信がないけれど、こんな日々が過ごせるようになった事が、私にとって、本当に宝石のような、キラキラした毎日でした。
今まで、出会い、繋がり、思ってくれた皆に、ありがとう。
これから、繋がっていく新しい日々に、ありがとう。
そしてこれからも、どうぞよろしくお願いします。
2006年12月31日
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存在。
ただ、そこにある。
たとえそこがごつごつした岩の上でも。
柔らかい絨毯の上でも。
いつでも裸足で。
風を受けて。
日を浴びて。
雨に濡れて。
感覚を研ぎすます。
どこで何をしていても。
ただそこにある、強さ。
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いけない気持ち。
さみしい気持ちも、
つらい気持ちも、
悲しい気持ちも、
恥ずかしい気持ちも、
表に出しちゃいけないものなんだと思ってた。
穴があいた感じとか、
黒い感じとか、
いびつな感じとか、
不完全な感じとか、
持ってちゃいけないものなんだと思ってた。
だから私は、
楽しい気持ちと、
嬉しい気持ちと、
明るい感じと、
元気な感じと、
ただそれだけでいたかった。
完璧で、完成されていたかった。
そうあることが普通で、自然なことなんだと思い込んでた。
そんなの無理なのに。
呼吸もちゃんと出来てなかったのに。
なによりいびつで、不自然なのに。
………
私の思ってた「いけない気持ち」は、
全部「大事な気持ち」だった。
「大事な気持ち」がいっぱいある日々が、
眩しくてあたたかいよ。
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ない幸せ。
「ない」ということは、幸せな事だ。
「ない」ことを感じる事ができれば、
「ある」ことを実感できる。
「ある」ことに感謝できる。
それは、
「ある」状態が、いつか終わると知っているから、
「ある」ことを、とても大事に出来るから。
「ない」からこそ「ある」
「ある」ことに、慣れたくはない。
光が影を生むのではなく、
闇が光を浮き上がらせる。
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三十三歳と、半年。
私は今、三十三歳と、ちょうど半年。
三十代。とか、三十路。とか言う言葉も使い慣れて来た今日この頃(笑)
私の場合、三十代に足を踏み入れる時よりも、二十七歳になる時の方が、焦りや不安が多かった気がします。(三十前、というくくりが嫌でした…笑)
なんだろう。なにか、自分の価値が、この歳をピークに落ちていってしまうような、そんな感覚も少なからずあったんでしょうか。
あ、四年付き合った元カレと別れたのもこの歳でした(笑…そりゃ焦るわな)
現代社会(特にメディア)では「三十」という年齢に、なにか特別な危機感を含ませて、人を焦らせるような風潮がありますよね。それにも踊らされていたなぁ。。
まぁ今となっては、わかるような、わからないようなことですけど(笑)
そんな不安な二十七歳から六年半。
三十を越えた頃には、あれ?三十一だっけ?と、年上にサバを読む程どうでも良くなっていました(笑)
今は、うーーん。そうだなぁ。。。
さすがに嫁にも行きたいので(本気)焦りが無いと言えば嘘になるのかもしれませんが、年齢で自分の価値が下がる。なんて事は、絶対無いと確信しています。(なんだこの自信…笑)
だって、二十七の私より、三十の私より、今の私が一番好きだもん(^^)
皆平等に歳をとって、いろんな経験を重ねて、悩んで悩んで、がんばって生きていくのに、価値が下がる訳が無いよー!
…とか言ってるから嫁に行けないのか?(笑)
いいやっ!!!それでいい!
本気で生きて来て、人生に磨かれた自分でいれば、違う道で、同じようにちゃんと生きて来て、磨かれた誰かとちゃんと出会うはず!!
年齢や見た目だけで判断するようなヤツは、こっちからお断りだ!(…なんでこんなに強気なんだ私?…笑)
それは、友人でも、パートナーでも。そうやって、色んな人と出会って、自分を磨いて行くんだもんね☆
だから、焦らず、自分のペースで歩いて行こう。超ゆっくりだけど……ちょっとは焦れって?(笑)
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別れの寂しさ。
誰かと別れる時、別れを感じる時、とてもさみしい気持ちになります。
でも、
世界が全て自分の中にあるのだとしたら、
私の中にいるその人と、しっかり繋がっていると感じられたら、
別れは少しだけ、さみしく無くなる気がします。
少しだけさみしく無くなったその隙間に、
未来とか、希望とか、
変化への喜びとか。
お互い、がんばって生きている実感を感じられて、
悲しみの闇の中だけにある、
一筋の光を見つけることが出来ます。
別れのさみしさを怖がっていたら、新しく出会い、しっかり繋がる事は出来ません。
ちゃんと出会って、思いきり別れを悲しんだ分だけ、
その繋がりは、強く、太くなっていく気がします。
だから別れは、
ただたださみしく、悲しいだけでなく。
さみしく悲しく、でも希望に満ちたものであって欲しい。
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白の心理テスト。
前出のアロニーが昨日、心理テストをしてくれました。
目を閉じて…
アナタは白い部屋にいます。
白い壁。
白い椅子。
白いドア。
そこを開けると広がる白い世界。
そこでアナタはどう感じましたか?
…………………
白のイメージを思い出したばかりだった私は、簡単にその世界に引き込まれました。
私の答えは、
穏やか。
始まり。
希望。
爽やかな。
少しさみしい。
…………………
心理テストの答えは、
「死」への想い。でした。
少し、うれしくなりました。
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軽やかな気持ち。
なにか、フッと憑き物が取れたように、今日は気持ちが軽やかです。何故??憑かれてたの??私(笑)
どうもいつもの考え癖が、どんどん自分を追いつめていってたようで、ちょっとだけ勇気を出して、あえていつもと違う事をしてみたら、すごく軽くなりました。状況はなんにも変わってないのに、不思議。。。
いろんな意味で、すごく前向きな気分。反動?(ちょっと恐い…笑)
大きな変化の後はバランスが変わってしまうから、今までのやり方も改めて見つめ直して、新しいバランスを計っていかないといけないって事なんでしょうか。
もうしばらくは不安定な時期が続くんだろうけど、だからこそ感じられる豊かな気持ちをちゃんと感じていたいな。
そうして少しずつ、新しいバランスを模索していこう。
焦らず。騒がず。とらわれず。
明日は、今日より少しだけ軽やかな私でいられますように。
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素直の恐さ。
素直で純粋な人が好きです。
私の周りには、素直で素敵な人が沢山居ます。
でも、素直で純粋な人の中には、ある種の危うさ、弱さも持っている人がいるような気がします。
無防備で騙されやすかったり、優しすぎたり。
だから無防備な素直さは、見ていて少し心配になります。
若さ。でもあるんでしょうか。
傷ついて、騙されて。
素直である事に臆病になっていくのも解ります。
私もそうだったし。多分今でも。
歳を重ねて、いろんな経験をして、たくましくなって行く事と、素直さを併せ持つ事は、難しい事なのかなぁ。
特に男の人は、いろいろ大変そう。
でも、忘れずに、持ち続けて欲しいなぁ。
もちろん私も、そうなりたいです。
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白のイメージ。
大きな真っ白い水槽。
真っ白い水。
微動たりともしない固まったかのような水面。
繋がった空から、ゆっくり静かに落ちてくる、正六面体の真っ白い箱。
大小落ちてくる。皆同じスピードで。
さざ波も立てない、一滴の飛沫も上げない、真っ白な水面。
乱れる事は無い。
ただ真っ白い箱を受け止め、沈める。
どんどん、沈める。
一体化する。
穏やかに。
静かに。
スピードが緩む。
どんどん遅くなる。
静かに。
静かに。
沈む。
沈む。
沈む。
水面は、ただ受け止める。
滑らかなまま。
穏やかなまま。
…………
それを傍観する私。
子供の頃、自分を落ち着かせる為に、いつもイメージしていた白い世界。
今日久しぶりに思い出した。
今でもこのイメージは、私の心を鎮めてくれる。
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自信の話し。
今日友達と話してて、思い出したこと。
自信があるとかないとか。
そういえばずっと捕われてた。
横に比べると、どこを取っても何一つ自信が無くて。
なんにもできない、
なんにも決めれない自分でした。
ある時期、ある人が、
一ヶ月前の、半年前の、一年前の自分と比べてどう?
という質問を、何度も何度もしてくれた。
繰り返し、繰り返し。
縦で比べたら、ほんとにゆっくり、
だけど、ちゃんと自分が進んでいるのが解った。
意識して、横に比べるのを止めた。
ある人に会わなくなってからも、質問は、自分でし続けた。
一ヶ月前の、半年前の、一年前の自分と比べてどう?
難しかったけど、ずっと続けた。
だんだん気持ちが楽になった。
すこしづつ、出来る事が増えていった。
すこしづつ、決める事が出来るようになった。
今も、横に比べるときっと、
私はペシャンコになる。
今も、自信がある訳じゃない。
でも、
中身はピカピカに。
毎日ピカピカに磨いて。
昨日より今日。
今日より明日。
中身はピカピカに。
毎日、ただ目の前にある事をする。ちゃんとする。
それしか出来なくて、
それだけやってたら、
不思議。
自信があるとかないとか。
どうでもよくなってた。
ありがとう。先生。
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私の世界。
私というフィルターを通して、
私は世界を見ています。
だからなるべく、
世界をねじ曲げないように。
真っ直ぐな目で見ていたい。
透明な心で感じていたい。
綺麗な事だけじゃない。
醜い事も、
恐ろしい事も、
悲しい事も、
全部見ていたい。
だってそれが、一番美しい世界。
綺麗なところだけを見ていると、
世界は醜く変わってしまう。
無理に力を加えると、
世界はますます歪んでしまう。
そんな悲しい世界を創り出さないように、
全部見ていよう。
だってそれが、一番美しい世界。
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わたしのモグラ。
臆病者の私が、
また顔を出す。
ひょっこり。ひょっこり。
まるでモグラみたいに。
でもモグラたたきみたいに、
たたいちゃいけないんだろうなぁ。。。
なんて、
ぼんやり考える。
ぼんやり。ぼんやり。
土の中に引き込まれないように。。。
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人の背中。
人の背中を見る事で、
感じる事が多いのは。
真正面からだと、
恥ずかしかったり、
後ろめたかったり、
全て見透かされそうだから。
臆病者で、どこか逃げ腰の自分。
恥ずかしがり屋で、勇気の無い自分。
心から、笑えない自分。
人の背中を見ているときは、
そんなの全部気にせずに、
素直な自分で感じられるんだね。
だから私は背中を見ていたい。
でも本当は、
真正面で笑っていたい。
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大事なノート。
私は貧乏性で。
お気に入りのノートを、
大事にしすぎてずっと使えなかった。
そしていつか忘れられて、
結局どこかになくすんだ。
大事なノートには、
大事な言葉をいっぱいいっぱい書き留めておこう。
どんどん大事になるように。
無くしても忘れないように。
ものにはちゃんと使い方がある。
私は私をちゃんと使えるように、
日々練習中です。
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赤ちゃんがかわいいのは…
赤ちゃんがかわいいのは、素直で純粋だからです。
赤ちゃんが弱いのは、素直で純粋だからです。
大人は弱さを認められなくて、素直さを失っていくのかな。
いっぱいいっぱい守って、守って守って固くなって。
固くなって、ぶつかって、割れる。
痛いイタい思い。
今度はもっと固くなって、おまけに武器でも持ってみる。
重いオモい思い。
弱い事は駄目な事?
一体誰が決めたんだろう?
赤ちゃんは駄目なひと?
いつから駄目なひとになるの?
駄目って決めてるのは誰?
弱い事を認めたら、少し素直になれました。
弱い事を許したら、少し優しくなれました。
赤ちゃんに力が溢れてるのは、
素直で純粋だからです。
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てくてくあるく。
てくてくあるく。
ときどきはしる。
てくてくあるく。
ときどきころぶ。
てくてくあるく。
どんぐりひろう。
てくてくあるく。
ときどきねむる。
てくてくあるく。
ともだちできた。
てくてく。
てくてく。
てくてくあるく。
おなかがすいた。
てくてくあるく。
どんぐりたべる。
てくてくあるく。
てくてく。
てくてく。
てくてくあるく。
おはながさいた。
てくてく。
てくてく。
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戦い。
戦うのは、もうやめようと思う。
武器を捨てた姿が、
一番強くて、美しいから。
武器を持てば持つだけ、
心は固く、重くなる。
身動きが、取れなくなる。
武器が増える度、
武器を使う度、
守っているつもりが、
自分で自分を殺していく。
それは、
自分の中にある全ての世界をも、真っ暗に閉ざす道。
守らなくていい。
ケガしてもいい。
痛みを痛みとして感じれば、
いつか傷は癒え、
前より少し、強くなれるだろう。
自然に、より素直に。
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想い。
もし自分が、もっとわかって欲しいのなら、自分から伝えればいい。
伝わらなかったときには、とても悲しい気分になるかも知れない。
辛くて寂しくて、それ以上伝える事に、臆病になるかも知れない。
「どうして解ってくれないの?」
「こんなにがんばってるのに!」
愚痴を言って済むなら、それでいい。
どうしても伝えられないなら、諦めればいい。
それが出来ないなら、まだ悲しいなら、自分から伝えればいい。
想うだけでは、伝わらない。
理不尽さや、悔しさ、プライドは、関係ない。
だって、
伝えたいのは、自分自身なんだから。
投げる人と受け取る人。
受け取る人がどうであれ、投げないと、何も始まらないじゃないか。
一歩踏み出せば、
それが望んだ答えでなくても、
きっと何かが変わりだすから。
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小石
未だ
多分ほとんどの人が、軽く飛び越えられるような、
小さい小さい小石に、つまずきそうになる。
誰かと比べても、なにも始まらないのはわかってるのに。
苦手な事というのは、いつまでたっても、苦手なままで。
傷は、治った。
準備も、できてるはずなのに。
まだ、つまずいてないんだったら、
一回転けて、ケガしてみるくらいの、
そんな身軽さ、
しなやかさが欲しい。
そして、小さな勇気を。
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一歩。
さっきまで、友達が遊びに来てました。
久しぶりにじっくり話してて、見えて来た事。
またまた、変化への第一歩を、知らずに踏み出していた事。
…というか、きっと知ってたんですが。。。誰かに言われないと、自身では認めたくなかったりもするじゃないですか(笑)…やっぱりどこか不安だし。。。ねぇ。。(←弱気…笑)
あんまり素直になる事になれてない私なので、外側からの冷静な意見は、とてもありがたく、ちょっと恥ずかしかったりもします。。。(照)
最近、自ら呼び込んだほんのささいなことで、ひどく揺れ動いてしまう自分がいて、きっと理由も解ってたけど、基本マイナス評価の私は、等身大に、なかなかなれません。
……もうそろそろ、等身大にならないと、ちゃんと踏み出せないのかも知れないな。今の私で、できるのかな。。
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パンと私。
天然酵母パンを焼き出して、7年半。
天然酵母パンを焼き出した頃の私は、なんだかぎこちなく、やたら毒づいて、なんでもはっきり言う事を、優しさだと勘違いしてた。
強さを誇張して虚勢を張りながらやっと、生きていた気がする。
そんな私の焼くパンを、みんなは「優しい味」だと言ってくれた。
その頃の私は「それは、私が毒吐いてる分、パンの味はまぁるくなっちゃうんだよ(笑)」なんて言ってた。私が陰で、パンが陽。そうやってバランスをとってた。
でもある時期からなんとなく、「この優しい味は、自分の中にあるものなのかも…?」と思う様になった。
でもまだ、「かも」でしかなくて、パンと私は、「二つで一つ」なんだと思ってた。
最近になってやっと、「あぁ、これは、私自身なんだ」と思える様になった。
つい強がってしまう私に、「もっと自然でいいんだよ。」って、パンが教えてくれる。
すると今度は、強がってしまう自分の方に、違和感さえ感じてしまう。(でもついやっちゃうけど…笑)
パンとの生活は、私の知らない私自身との対話。
私がどんなに気付きたくなくても、逃げ出したくても、パンはそんな私より、ずっと素直に雄弁に、色んな事を伝えてくれる。
こうして私はパンになった。そうだ、パンはいつも私より、一歩先を行ってる。
今でもパンは、すぐに揺るぎそうになる私を、自然に、でもしっかりと繋ぎ止める。
そして時々、新たな繋がりをくれたりもする。
思い出した。
パンを焼き始めた頃、「幸せの味のパン」を焼きたいと思ったこと。
少しは近づいただろうか。
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体と心。
私はずっと、自分のストレスになかなか気付けない人間でした。
でもなにかが過敏なのか、自覚の無いまま積もったストレスは、ギリギリでいつも体にサインを送ってくれました。
いわゆる自律神経失調症に代表される様々な症状、ひどい時は声が出せなくなりました。そんなサインを受け取ってやっと私は、自分の心に目を向けることが必要なんだと気付きます。
そんな事を、何度も何度も繰り返し、それまでは無意識にしていた自分と向き合う行為を、意識的にする様になりました。
今でも、自律神経系は強いとは言えませんが、激しいサインを受け取るもっと前に、体の異変に気付ける様になりました。そんな時は、何かが歪み始めているんだと、立ち止まってみます。実際、問題がクリアになると、体の異変もおおかた治まるのです。
今、慢性的な自分の体質と向き合おうとしています。「体質」だと思っていたので、どこか諦めて、特に重きを置いていなかったんですが、心からのサインを体が発する様に、体をケアする事で、心がケアされるんだと解って来たからです。
毎日出来る事から、無理せず始めます。ついついがんばりすぎてしまうので、そこに注意して、ぼちぼちやっていきたいです。
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心と体。
最近、心の事にどうしても重心がかかって来ていたので、五年目がはじまる前に体の方もメンテナンスを。と、今日は車で一時間、桑名まで整体をしに行ってきました。
初めての整体。ざっと体質を説明した後、体のバランス、背骨、頭蓋骨、骨盤、恥骨など、ゆっくり診てもらいました。
詳しく話していないにも関わらず、テンションが高めな事(笑)=鬱の気があること(こちらはほぼ完治しております)、理屈や筋を通す事が大好きな事(考え方を無理に変えようとすると、おかしくなるんだって!!)、右足が過去に座骨神経痛になっていたこと、呼吸器系が弱い事、泌尿器科、婦人科系が弱い事(過去に腎盂炎、膀胱炎、卵巣内出血になりました)、自律神経系が弱い事等々、ずばり言い当てられました。個人事業主は最適だって(笑)
こちらは自覚の上でしたが、冷え性&低体温症が、いろんな病気の根源にあるということでした。それも、あまり例を見ない程のひどい冷え性だそうで、こちらはいろんな意味で注意が必要。夏でも靴下必須!と言われた私の今日の足下は…素足に下駄でした。てへ。
いやぁ、でもほんと、こんなに心と体が密接に関係しているとは。ほんとに驚きです!!
心も体も、どちらが優勢なわけでもなく、どちらもリアルタイムでリンクしているんですね。
心がスッキリした状態で診てもらっているので、体も基本的な体質は出ているものの、極端におかしなところは無いそうです。ほっ。
もう少し運動して、毎日少しずつストレッチしていけば、冷え性も徐々に良くなっていくそうです。
なんとなく解っていた自分の体。ちゃんと診てもらって、向き合う覚悟が出来ました。冷え性がひどくなるこれからの時期、気を付けていきたいです。
あ!さっき、靴下履きました(^^)v
ちょっと休憩。
今週末行く予定だった、大人計画フェスティバル。
ここ数ヶ月の、大きな変化の流れの終焉を乗り越えるのに、少々心が疲れてしまって、行く事を辞めました。
入手困難なチケットを手に入れた時には、すごく嬉しくて、とてもとても楽しみだったけど、今回はその気持ちよりも、自分を体力的にも精神的にもいたわることの大切さの方が、上回ってしまいました。
私はこの夏、色んな事から卒業する事を多分どこかで解っていて、むちゃなスケジュールでいろんな予定を詰め込んで、遊び納め。みたいな気持ちがこころのどこかにありました。
もちろんこれからも遊ぶんですけど(笑)今までみたいな、どこか逃避じみた遊び方は、しなくなって行くんだろうなぁ…と思います。
気付くと、お店も丸四年。自分の作ったパンでお金を頂く様になって丸七年です。
自分の手から生まれたものを売る事で自分の生活が成り立って行く。かかってくる責任や不安は大変なものだけど、やればやるだけ自分に返ってきます。そうやって、時間や数字の世界では解らないお金の価値を知り、一歩ずつ進む事でしか手に入れられない何かを、積み重ねて来たような気がします。
熱くて、馬鹿な事を本気で出来る大人が好きです。そんな人たちを見てると、自分ががんばっている意味を疑わなくて済むから。そして、私ももっとがんばろー!って、元気と勇気をくれるから。
私にとってライブは、そんな風に ガス欠気味の自分を充填してくれる、とっても大事なものです。氣志團も、グループ魂も、世間的には色物バンドかも知れないけど、一見意味のなさそうなバカバカしい事を、いい歳して(←ここポイント!)本気でやってて、そんな生き方に感動します。
今でも大好きだけど、前みたく ツアー行ける限り行ったり(←やり過ぎ)気軽に遠出したりは、しなくなるんだと思います。
もうあれほどたくさんの刺激やパワーをもらわなくっても、自分で立っていられる様になったから。もうあんなに自分を追いつめなくても、生きていける様になったからです。
半年程前に、ひどく辛い時期があって、もう本当に、亀山を離れてお店も辞めて、誰も知らないところへ行こうかとまで、思い詰めたことがありました。
それは私の心の問題でした。そこまで追いつめられてやっと、私の中に幼い頃から巣くっている、とてつもなく大きな影と向き合わざるを得なくなり、勇気を持ってそれを手放す事で、初めて、生まれでた感覚を持つことができました。生きていて良いんだと、感じる事が出来ました。
つい最近、幼い頃愛された経験が無いと思っていた私は、影が巣くっている事で見えていなかった、不器用だったけど しっかり愛されていた記憶を、思い出す事ができました。
そうして少しずつ、でも確実に、あるべき姿をとりもどしながら、やっとここまできました。
背負いすぎていた、いろんなものをたくさん手放してきました。でも代わりに手に入るものは、前よりずっと心地よいものでした。
手放す勇気をいろんなところでもらいながら、最後は自分の力で一歩を踏み出します。神様は真っ直ぐの勇気と引き換えに、とても大きな贈り物をくれます。
やっと準備が出来たのでしょうか。なんだかほんとに何もまとってないような、自由で軽い感覚です。
新しい事が、もうすでに始まり始めています。これからも、いろんな問題は起こってくるでしょう。でも心配はしません。今までもなんとかなって来たし、不安を原動力にすることでは、勇気は生まれないから。
変わる事を恐れるより、今を生きられることに感謝を。
追記/今回、ライブに行くのを辞めた事で、今までならあり得なかった新しい形のご縁が出来ました。もうほんとにうれしくて、ライブ行ってないのに、心は小躍り(笑)しています。
変わる事、変わらない事。
前々から思っていた事ではあるんですが、ここ最近 色んなところで、「変化して行く事」 の大切さを感じます。
逆に、守るべき物の大切さも。
今日は少し「変わる事」について、まとめてみようと思います。
人は ある場所に「執着」すると、成長が止まってしまうような気がします。
長い人生の中で、立ち止まる事も、振り返る事も、必要な時期というのはあります。でも、変化を恐れてその場所に固執してしまうと、次第に 見えていた事や、見えるはずのものが 見えなくなったり、感じられなくなっていきます。
「変化」は、恐かったり、寂しかったり、いろんな不安を呼び起こします。今の自分のいるところが たとえ居心地の良い場所でなくても、長くそこにいることで、自分の見える範囲を知る事が出来、それは次第に安心感になります。
「安心感」。とても大切な感覚です。それが無いと人は、当たり前の日常さえ 送る事が辛く感じることもあるでしょう。
本来なら違和感を感じていたその場所が、知る事で安心な場所になる。一時的に安心な場所で養生するのも大切な時期です。一カ所に留まる事でしか、感じられない経験も、確かにあるし、必要な事です。
でも、不自然に「執着」し そこにずっといようとする事が、淀みを生む事もあるのです。淀みは次第に心を固くして行きます。
変わるべき時を見極め、「変わる事」。とても大切な事です。変わるべき時、何らかの理由を付けて「変われない事」は、意図して「変わらない事」とは違います。
「変わる事」は、時に不安を打ち破る「勇気」が必要になります。自分の弱さ、勇気の無さを認められず、「変われない事」は、非常に保守的な、逃避的な選択です。
自分の弱さを認める事は、辛く苦しい事です。でも、それを周りの人や、環境、社会に責任転嫁して、自分を正当化させ続ける事は、自分自身を見失って行く恐れがあります。
「保身の為の執着」を「こだわり」という言葉にすり替える人もいます。
「こだわり」。これも生きて行く上では、とても大切な要素です。
こだわりがあるから、熱くなれるし、本気になれる。人生を楽しくさせる大切な要素の一つです。そして本来 自分の「こだわり」は 他人に押し付けることもないし、そんな必要もありません。ただ、自分の「価値観」として、そこにあるものなのです。
でもこの場合の「こだわり」は、「虚勢」や、「正当化」と呼ばれるものではないでしょうか。
変わる事も出来ず、ただ自分を守るしか出来ない人は、周りの人が「変わろうとする」のにも、ひどく敏感です。そして、なんとか変わらない様にと、精神的圧力をかける。時にそれは暴力的なこともあるでしょう。そしてそれは、往々にして 無自覚なまま行なわれます。私はそんな人たちを、何人も見てきました。(過去の自分も含みます…)
自分の中に、芯(真)になる、「変わらない事」を持ち続けながら、「変わるべき時に変わる」勇気を持った人に惹かれます。私もそんな風に、柔軟に、でもしっかりと地に足を着けて、生きて行きたい。と思っています。
固くなって、感じる力の弱くなってしまった心が、少しでも和らいで、元気になって欲しい。でもその為には、諦めないで、逃げないで、立ち向かう為の ほんの少しの勇気が必要です。
私はいままで、沢山の人から 勇気を出す為のパワーをもらってここまで来ました。(もちろん生まれ持った性格もあるんだろうけど…)だからこそ、変わる事、変わる事ができる事、変わるべき時が解る事。をなおさら大切にしなければ。と切に思います。
変化することに、不安や寂しさがあるからこそ、今ここに当たり前の様にある 日常の中の些細な時間に幸せを感じ、大事にして行く事が出来るんだろうと思います。そして、変化の恐さと向き合う様になって、その小さな幸せは、かけがえの無いものだと、確信出来る様になりました。
当たり前の日常が変わっていっても、勇気を持って踏み出したその先には 必ずなにか温かいものがあると信じています。
バランス
最近、いろんな事が変化して来ている。
意識的に内省(のようなこと)をするようになってからは特に、いろんな変化に気付き、受け入れられる様になって来た気がする。
いままで保たれて来た(と思っていた)バランスが、だんだん形を変えて行く。
怖かったはずの変化が、受け入れられるようになって来たのかな。
否定、比較、批判、同情、不安などなど、いろんな「負」の感情。
いまでも確かに私の中にあるけれど、それに捕らわれ、自分や人を判断しなくなって来て、とても楽になった。
穏やかな日常の中で、それでもやっぱり波はやってくる。まぁ、いいか。もがかず 責めず、波に打たれても。
もしケガしたらちょっと休んで、ちょっと立ち止まってみるのもいいかもしれない。
歩き続けてたら見えないものが、きっと見えるよね。
受け入れるということ。
人を受け入れるということ。自分を受け入れるということ。大事にするということ。を、最近考えています。
批判はしたくないし、否定ももちろんしたくない。でも、時には怒ったり、一緒に泣いたりすることも、とっても大事な気がします。
心の距離の遠い人のいいところ、だめなところを受け入れるのは、特に難しくないかもしれないけど、それはどこか、無関心や、無責任でいられるからのような気がする。
身近なひとのだめなところはとくに、簡単に受け入れられるものではないから、尚更、受け入れたいと思える人のことは、大切に感じます。
その人とちゃんと向き合って、時には心を鬼にしてでも伝えなければいけないこともあるかもしれない。それは自分にとってもとても大変なことだけど、とても大切なことだと思う。
答えは、無くていいと思う。ただ、あなたをちゃんと見ています。と、心に伝わることが、一番大切。
人とちゃんと向き合うということは、無責任でも、無関心でも出来ないと思うから。そしてそれは、ちゃんと自分と向き合って、自分自身を大事にしてないと、出来ない気がする。
あぁ。。。まだうまく書けないや。。。つづきはまた今度。
悲しい話。
悲しい話を聞いた。
会社の中で、上司に責められ、怒られ続けて、精神が病んでしまった人の話。
昔の人には必要であっただろうルールや常識に何も疑問を感じず、現代になっても、ただ、いままでそうあったということだけで、それらを盾や武器にする人は、今の時代、そんな価値観に疑問を覚え、自分の良心に正直に生きようとする人たちを攻撃するの?人より少し進むのが遅いだけなのに?自分の心を大事にして、丁寧に生きているだけなのに?
他と比べて何が生まれるんだろう。批判することで、本当に幸せになんてなれないと思う。自分が人より上でも下でも、そこには何か気持ちの悪いものが残るのに。
自分の中の空虚感は、外側から評価されても埋まるものじゃない。自分も人も、出来ないことがあっても、そのままでいいはずなのに。
ちゃんと生きようとする人たちが、壊されていく今の時代が、とても悲しいし、辛い。
ただ、会社で壊されてしまったこの人はいま、表現者として同じような境遇の人たちの代弁者として活動されているらしい。本当に、がんばってほしい。
批判してしまう人の気持ちもわかる。私もそうだったから。でも、そんなことを繰り返しても何も変わらなかったし、何も満たされなかった。他人を批判してしまう人は、きっとすごく淋しいんだろうな。と思う。
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